クラヴィコードは13世紀頃から出現したといわれ、外観は長方形で、4本脚がついたものと、脚がなく直接テーブルに置くものとがあり、音域は3~5オクターブでした。 この楽器の最大の特徴は、打弦法にあり、鍵盤を押すと鍵盤奥にある真鍮製のタンジェントが弦をつきあげて音を出します。したがって、キーを押える力によって音の強弱がある程度得られ、キーを押えたまま動かすことによってビブラートも得られますが、音量が極めて小さく、楽器のそばにいる数人にしか聞こえない程度のものでした。しかしながら、その繊細な音色は多くの作曲家や愛好家を魅了しました。
ハープシコードは、鍵盤を押すと鍵盤の奥の柱が上がり、それに付いている「爪」が弦をはじいて発音します。ハープシコードはバロック音楽を代表する楽器ですが、強打弱打による音量変化がありません。展示してあるハープシコードは1697年にカルロ・グリマルディが製作し、現在ニュルンベルグのゲルマニア国立博物館に収蔵されているものを復元製作したものです。ルネッサンスのイタリア舞曲の軽快な歯切れ良さを効果的に表現することのできる楽器です。また、イギリスのヴァージナル音楽やバッハの演奏等にもその特徴を効果的に表現できます。
ピアノは18世紀の初頭にクリストフォリによって生まれ、それまでのハープシコードに対して、鍵盤の弾き方により、音量の強弱を自由にコントロールできるという点で画期的なものでした。アクションは様々な変遷を経て、ウィーン式とイギリス式の2つのタイプに集約されました。展示してあるハンマーフリューゲルは、1795年頃、ウィーンでアントン・ワルターによって製作された楽器を復元したものです。ワルター作の楽器は、ウィーン式アクションを持つハンマーフリューゲルで、最も完成度の高い楽器の一つと言われております。また、モーツァルトやベートーヴェンにも愛用されたと言われております。
1927年(昭和2年)、河合小市が独立して最初に商品化したのがこの小型アップライトピアノです。他社が650円以上でピアノを販売していた時代、「多くの庶民に本物のピアノで音楽を楽しんで欲しい」という小市の熱意と工夫により誕生したこのモデルは《昭和型》と名付けられ350円で発売されました。そして、その性能の良さはすぐに評判となりました。
このピアノは1928年9月に完成したカワイグランドピアノの第一号で、河合小市が設計、伊藤勝太郎(仕上・調律)、青木金吉、森健(納品・調律)、平出幸太郎(アクション)、杉本義次(木工)、鳥井秀次郎(漆塗り)といった技術陣が製作にあたりました。そして、1,340円のグランドピアノは同年10月1日、昭和天皇即位の御大典記念として地元の篤志家、末永寅蔵氏、鈴木近次郎氏、市川政七氏により、当時の山東尋常高等小学校(現在の浜松市立光明小学校の前身)に寄贈されました。以来35年間学校での音楽教育の場で大いに活用された後の1963年9月12日に当社工場に里帰りいたしました。
1940年にオリンピックと共に東京で開催が予定されていた日本万国博覧会に出品するために河合小市等が特別なデザインのピアノを製作していましたが、日中戦争の激化で博覧会の開催はなくなりました。しかし、そのピアノは購入者のお宅で太平洋戦争中も戦後も無事に生き延びていて、偶然その情報を得た当社技術陣が購入者のお宅で50年ぶりに調査し、1990年に復刻モデルとして限定生産されました。
河合小市は玩具ではない本格的な構造を持つ“ミニピアノ”を戦前から製作していました。そして太平洋戦争によって浜松のピアノ工場は全滅、作業者も離散し、材料も入手できない中、ピアノ工場を復興する第一歩として、1948年に疎開先の島田工場で再開したのが、この本格的な“ミニピアノ”の製造でした。