ピアノの歴史

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ピアノが生まれるまで

18世紀前半までは、ピアノの前身楽器である
「クラヴィコード」と「ハープシコード」が鍵盤楽器の主流となっていました。
この時代に活躍したJ.Sバッハやヘンデルは、
現在のピアノとは異なるこれらの楽器で作曲をしていたということになります。

ピアノが生まれるまで

クラヴィコードは13世紀頃から出現したといわれ、外観は長方形で、4本脚がついたものと、脚がなく直接テーブルに置くものとがあり、音域は3~5オクターブでした。この楽器の最大の特徴は、打弦法にあり、鍵盤を押すと鍵盤奥にある真鍮製のタンジェントが弦をつきあげて音を出します。

したがって、キーを押える力によって音の強弱がある程度得られ、キーを押えたまま動かすことによってビブラートも得られますが、音量が極めて小さく、楽器のそばにいる数人にしか聞こえない程度のものでした。しかしながら、その繊細な音色は多くの作曲家や愛好家を魅了しました。

ピアノが生まれるまで

ハープシコードは、14世紀頃に出現したといわれ、イタリア語で「クラヴィチェンバロ」通称「チェンバロ」と呼ばれ、国によって「ハープシコード」「クラブサン」などの呼称があります。

ハープシコードは鍵盤を押すと、鍵盤の奥の柱(ジャック)が上がり、それについている「爪」(プレクトラム)が弦をはじいて発音します。爪は、皮革、羽根軸などで作られ(現代のハープシコードのプレクトラムは、ポリアセタール樹脂などが使われています)、その材質によって音質が変わります。音は鋭く華麗で音量もクラヴィコードより豊富ですが、音の強弱はあまり得られません。音域は4~5オクターブのものが一般的です。
ハープシコードはバロック音楽を代表する楽器で、現在でもつくられていますが、1600~1800年にかけて現在のピアノにもまさる広い活動範囲を与えられた楽器でありました。歴史的にみると、この楽器の型式が今日のグランドピアノに移行していきました。

ピアノが生まれるまで

ピアノの誕生と進化

ピアノの誕生と進化

ピアノは1709年にイタリアのハープシコード製作者バルトロメオ・クリストフォリ(Bartolomeo Cristfori)によって発明され、彼は「クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ」と命名しました。
「ピアノ・エ・フォルテ」、これはもちろん弱音と強音をあらわし、この楽器の特質を命名したものでした。この楽器が発明される以前の楽器では表現しにくかった「音の強弱」がタッチによって可能になる機能、すなわちハンマーアクションを備えた楽器が考案されたわけです。
その後各国で改良が進められ、種々の製作方法による様々なスタイルのピアノが見られるようになりました。この当時のピアノはハンマーフリューゲルともよばれ、音域は5オクターブから5オクターブ半であり、ハイドン、モーツアルトはその音域の中で音楽を創り出しました。

19世紀にはいり、ピアノ音楽の発達につれ音域・音量の拡大や確実に連打できる高性能なアクションなどが強く求められるようになってくると、鋼鉄弦や鉄骨のフレームが出現し、アクションも画期的な改良がなされ、音域も7オクターブに拡がりました。

ベートーヴェン、シューベルト、メンデルスゾーン、ショパン、シューマン、リストなどは、この恩恵を受けています。
また、アップライトピアノも現在のアクションとほぼ同じ型のものが考案され、実用性が認められるようになり、一般家庭へ普及していきました。

ピアノの誕生と進化

現在のピアノへ

現在のピアノへ

1850年以降も、なお熟達したリスト、そしてブラームス、サンサーンス等々の音楽家を満足させるべく改良が進められました。
低音2重巻線、ソステヌートペダル、アリコート、音域の拡大(7 1/4オクターブ、88鍵)等々、改良は数限りなく、弦もしだいに強く張られ、ハンマーもより弾力性のあるフェルトが用いられるようになり、張りのある豊かな音を持つ現在のピアノの形ができあがりました。
そうした中、日本においては、1900年(明治33年)にヤマハ(日本楽器)が国産第1号となるピアノをつくり、1927年(昭和2年)には河合小市により「河合楽器研究所」が設立されました。1928年にはカワイグランドピアノ第1号が完成しています。
さらに近年では、電子技術を駆使した消音ピアノや自動演奏ピアノ、ボディがアクリル製のクリスタルピアノなども登場し、ピアノの活躍の場はさらに拡がっています。
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