日本でブーニン旋風が起きた1985年の第11回ショパン国際ピアノコンクールで聴衆賞を受賞したのは、実はブーニンさんではなく、第2位でマズルカ賞も受賞したフランス人ピアニスト、マルク・ラフォレさんでした。コンクール後は、演奏活動のかたわらエコール・ノルマル音楽院で教鞭をとるなど、後進の育成にも力を入れ、現在はロン=ティボー国際コンクールの審査委員も務めています。2024年11月、ロン=ティボーの日本予選のためにジャン=マルク・ルイサダさんと共に来日していたラフォレさんにお話をうかがいました。
聞き手:高坂はる香(音楽ライター)
―― どのようにピアノを始められたのですか?
兄がピアノを習っていた影響で5歳で始め、8歳から頻繁にステージに立つようになりました。その後、パリ国立高等音楽院でピエール・サンカンという偉大な師のもと学ぶ機会に恵まれました。そして1985年、何か国際コンクールを受けてみてはどうかという話になり、子供の頃からショパンが大好きだったので、ショパン国際ピアノコンクールに挑戦することを決めました。実は当時の私は、これがどれほど重大なコンクールかよくわかっていなくて、コンサートと似た感覚で舞台に立っていました。そうして2位に入賞することができたのです。
―― 当時19歳、プレッシャーを感じていなかったことで逆にうまくいったのですね。
そうですね、感じていたのは良い緊張感だけでした。私にとってショパンは子供の頃からなぜかとても身近で、自然なつながりを感じていました。実際の人間同士でも、親近感を覚えたり、そうでなかったりする相手がいますよね。
あの回はスタニスラフ・ブーニンが優勝、クシシュトフ・ヤブウォンスキ、小山実稚恵、ジャン=マルク・ルイサダなど、すばらしい入賞者が名を連ねていました。
―― コンクール中で特に記憶に残っているのは?
音楽の記憶はもちろんありますが、それ以外もたくさん覚えています。当時のポーランドはまだソ連の影響下にあり、人々の生活は困難でした。戒厳令の影響が残り、緊張感もありました。だからこそ、人々のショパンコンクールに寄せる熱意との間にとてつもないギャップを感じました。コンクールで音楽を楽しむことが、人々にとってセラピーのようなものだったのかもしれません。コンクール期間中、人々はショパンやコンテスタントの話に花を咲かせ、とても幸せそうでした。私はフランスという自由な国からきた若者でしたから、衝撃的でした。
もう一つ記憶に残るのは、参加者の間に素晴らしい友情が生まれたことです。親密で、競い合っているという感覚はまったくありませんでした。その中で、当時のソ連から参加していたブーニン氏からは、政府や権力者が彼の成功を願うプレッシャーを一身に受けて参加していることが伝わってきました。彼自身というより、周囲のためになんとしてでも勝利をつかまなくてはならなかった。大変な状況だったと思います。
私も自分が優勝できたらともちろん夢見るわけですが、ブーニン氏が勝利を手にしてどこか安堵したところがあります。私はコンクールが終わったら自由な国に帰れますが、彼の状況は違うわけですから。
―― 若き日にピエール・サンカンからどのようなことを学ばれたのでしょうか?
一つは技術的なことです。彼は優れた作曲家でもあったので、若い学生たちの演奏技術を高めるため、エクササイズ用の作品を書いていました。そして大切なのがもう一つの点です。彼は、生徒が自らを理解し、自らの足で立ち、求めている音楽を教師なしで表現できるよう導いてくれました。
一部の教育者は、自分が思った通りの音楽を生徒にさせることが正しいと信じています。そういう指導のもと音楽を発展させる人もいるでしょうが、それだと大人になり、自分で音楽を考える段になって間違いなく苦労します。
その点、ピエール・サンカンはとても柔軟でした。音楽に敬意を払い、作曲家の論理、作品の構造と雰囲気を理解し、それらを尊重するという“ルール”さえ守っていれば、自分と違うタイプの音楽も受け入れる人でした。
私はフランスのピアニストとして、最近特にフランスの若者の間で、こうした音楽に敬意を払うことの大切さを学ぶ機会が減っていることを危惧しています。
―― 間違った意味で自由であるということでしょうか。
そうです、自分の望むように演奏したい、それこそが自由でユニークだと考えるのは大きな間違いです。楽譜に書かれたことに対する尊敬が感じられない演奏が増えています。
―― フレンチ・ピアニズムについてどう思いますか? それを継承しているという意識がありますか?
私は、ピエール・サンカンから受け取ったものを後世に伝えたいと思っています。言葉で説明するのは難しいですが、フランス音楽の形式の特殊性、楽譜に従うことで、洗練されたクリアな音楽を生み出すことを伝えたい。一方でいわゆるフレンチ・ピアニズムについて言及するつもりはありません。なぜなら、私にもそれが何であるかわからないからです。
そもそも7、80年前のフランスのピアニズムが、技巧的、ブリリアントで、果たして完璧だったかというと私は疑問です。ときに深みに欠けるところがあったと思います。私自身はなぜか、どちらかというとスラヴのピアニズムの感覚により近いという認識があります。
―― お若い頃、アルトゥール・ルービンシュタインの教えを受けていらっしゃるのですよね?
はい、10歳か11歳のときです。彼がスイスに移る前の2年間ほど定期的に会っていました。それは音楽のレッスンでありながら、人生についてのレッスンといえるものでした。子供だった私にとって、90歳近い彼は大変なお年寄りでしたが、音楽をすることをとても幸せだと感じているように見えました。音楽を愛し、人生を楽しんでいる姿そのものが教訓になったのです。
彼は、すべての音符が愛を表していると感じているようでした。全部の音が命とキャラクターを持ち、一見重要でないことにも大きな意味があって、それが音楽の物語と生命を形成していることを知りました。特にショパンにおいてはそれが顕著です。
作曲家は楽譜に「愛を持って演奏してください」とは書きませんが、かわりにアニマート※やアパショナート※と書くわけです。音楽への愛が、最も基本であり大切なことである。それがルービンシュタインの演奏から学んだことの一つです。
※アニマート・・元気に、速く ※アパッショナート・・情熱的に、激情的に
私たちプロは、正確な演奏をしなくてはいけません。でも常に忘れてはならないのは音楽への愛なのです。1日に7、8時間も練習していると、愛を失いかけることがあるかもしれません。そんな時は思い切って仕事を減らし、心をリフレッシュする方がいいと思います。なぜなら人々があなたに望んでいることは、普段得ることができない感情を共有することだから。もしあなたが音楽に疲れていたら、そんな奇跡の体験を共有することはできません。
—— ラフォレさんにとって、良いピアノとはどんなピアノでしょうか?
最高のピアノは、ピアノの存在が見えない状態をもたらします。均一な鍵盤とすばらしい音で完璧に整えられているとき、ピアノにそれ以上の何かを望むことはなくなり、自分が何をするかに集中できます。逆に常に楽器について考えている状態は、ピアノに問題があるといってよいでしょう。
最高の楽器は「なんていうことだ、こんなに演奏するのが楽しいのか!」と思わせ、インスピレーションを与えてくれます。そんなときは、遠い別世界へ行くことができます。
ピアノと同様に重要なのが調律師です。ピアノと調律師はデュオのようなものですが、特に日本では両者の関係が近いですよね。時には、調律師が幸福であることをピアノが喜んでいるように見えることすらありますから!
―― 次回のロン=ティボー国際コンクールでは、カワイがパートナーとなります。
20年前と今のカワイのピアノを比較すると、すばらしく進歩しています。そうした成果の一つが、ロン=ティボーとのパートナーシップと言えるでしょう。
コンテスタントはカワイとスタインウェイという個性あるピアノの“テイスティング”をして、自分の好み、物語、演奏技術の面から心地よい楽器を選ぶことになります。
カワイのピアノはきっと多くの人から選ばれるでしょう。ピアニストにとって、楽器と調律師を信じられることは重要です。私はコンクールのアーティスティック・ディレクターとして、この新しいパートナーシップをとても嬉しく思っています。
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ロン=ティボー国際コンクール 2025
Concours Long-Thibaud 2025
2025年3月25日〜30日
https://www.long-thibaud.org
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Biography
Merc Laforet マルク・ラフォレ
フランスの男性ピアニスト。1965年生まれ。5歳からピアノを始める。
ブーローニュ・ビヤンクール音楽院でジャクリーヌ・ランドウスキーのクラスで学んだ後、パリ国立高等音楽院のピエール・サンカンのクラスに入り1等賞を獲得した。アルトゥール・ルービンシュタインに励まされ、ユーディ・メニューイン財団から賞を、チャイフラ財団からメダルを授与された。
1985年、ワルシャワで開催されたショパン・コンクールで第2位、聴衆賞、マズルカ賞、ラジオ・テレビ賞を受賞。国際的なキャリアをスタートさせ、パリやアメリカ、ヨーロッパの首都でリサイタルを行っている。
これまでに、ダニエル・バレンボイム、ヴァレリー・ゲルギエフ、ジョルジュ・プレートル、ルドルフ・バルカイ、ジャン・クロード・カサデス、ウラディミール・アシュケナージ、クラウス=ペーター・フロール、ヴァシリ・シナイスキー、アーミン・ジョルダン、セルジュ・ボード、スタニスワフ・スクロヴァチェフスキ、アントニ・ヴィット、エリアフ・インバルなどの指揮者のもとで、パリ管弦楽団、ベルリン交響楽団、ミラノ・スカラ座、モンテカルロ交響楽団、ロンドン・フィルハーモニア管弦楽団、プラハ・フィルハーモニー管弦楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、読売日本交響楽団、ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団、ライプツィヒ・フィルハーモニー管弦楽団、ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団、サンクトペテルブルク・フィルハーモニー管弦楽団、ベルギー国立管弦楽団、リール国立管弦楽団などの著名なオーケストラと共演している。
これまでにルドルフ・バルシャイ指揮ロンドン・フィルハーモニアとショパンの2つのピアノ協奏曲や、24の前奏曲とソナタ、ショパンのワルツ全曲の録音をリリースしている。
また、1988年からEMIでショパンのソナタ第2番を録音している。
また、カジミエシュ・コルド指揮のワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団とのショパンの2つの協奏曲をCDとDVDに収録している。
2002年には、ヨーロッパのヤング・コンサート・アーティスト・オーディションのアーティスティック・アドバイザーと、ボルドー地方の音楽祭「Classiquaquitaine」(現在のLes Grands Crus musicauxとして知られている)の芸術監督に任命された。
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